パート先のスーパーで、常連のおばあさんがトイレに間に合わなかった日
スーパーのレジのパートをして、もう八年になりますの。平日の昼下がり、午後二時ごろでしたかしら。お客さまもまばらで、レジに立ちながらぼんやり品出しの段取りを考えていた、そんな時間帯でしたわ。
いつもいらっしゃる常連のおばあさん(70代の後半かしら、白髪をきちんと束ねて、いつも同じ紺の巾着を提げてらっしゃる、上品な方ですのよ)がね、その日はカゴも持たずに早足で入ってこられましたの。普段は杖をついてゆっくり、豆腐と納豆の棚を必ず往復なさるのに、あの日に限って入口からまっすぐ、お手洗いの方へ向かわれたんですわ。顔色が白くて、口を一文字に結んで、巾着を持つ手が震えているように見えましたの。
あら珍しい、お加減でも悪いのかしらと思っていたら、数分してサービスカウンターの子が青い顔で私を呼びに来て。お手洗いの前の通路まで参りますと、おばあさんが壁に手をついて立ち尽くしていらしたの。表情がもう、泣き出しそうというか、諦めたような、あの感じ。スカートの後ろの方が、その、大変なことになっていて、通路にまで、少し。お手洗いの個室は空いていたのに、ドアの前のほんの二、三歩が間に合わなかったんですって。
「迷惑かけて申し訳ない、情けない」って、震える声で何度も何度も謝られてね。私、なんと申し上げていいか分からなくて、ただ「大丈夫ですよ、すぐ済みますからね」って背中をさすっておりましたの。胸が痛くて、でも不思議と嫌だとは思いませんでしたわ。人間、誰でもいつかはこうなるんですもの。
店長と二人で通路をそっと清掃して、他のお客さまの目に触れないよう台車で目隠しをしましたの。おばあさんには奥の休憩室で、うちの衣料品売り場の新しい肌着とスカートに着替えていただいて。震える手でボタンを留めるお手伝いをしながら、この方も昔は誰かのお母さんで、こんな日が来るなんて思ってもみなかったでしょうにと、涙が出そうになりましたわ。
お代は後日、菓子折りと一緒にきちんと持ってこられましたの。今もお店にいらっしゃいますよ。あの日のことは、誰も何も言いませんの。それでいいんですのよ、お互い様ですもの。私もいつか、誰かにそうしていただく日が来るのかもしれませんし。
― この話は、これにて ―
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※ 掲載されている話は、読者投稿・創作をもとにした読み物(フィクション)です。実在の人物・団体・場所とは一切関係ありません。
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