閉館後の非常階段で女性社員と鉢合わせた件
閉館後の23時、B館非常階段の巡廻中の事案である。当施設の非常階段は空調がなく、冬は冷え、足音がよく響く。私は規定どおり4階から降りながら各階の扉を確認していた。
4階から3階へ降りる踊り場の手前で、人の気配を感知した。閉館後の残留者は月に数件ある。当初は残業のテナント社員かと思い、懐中電灯を向ける前に声をかけようとした。が、その必要はなかった。というより、声が出なかった。
踊り場の隅、非常灯の緑の薄明かりの中に、テナント事務所の制服を着た20代と思われる女性が、しゃがみ込んでいる姿が視界に入った。長い髪を片手で押さえ、もう片方の手でスカートの裾を握りしめていた。そして足元に広がりつつある水たまりと、コンクリートに落ちる音で、状況を把握した。押し殺した小さな声が、静まり返った階段室にやけに響いた。安堵とも羞恥ともつかない声であった。
私は硬直した。職業柄、大抵の事案には冷静に対処できる。だがあの瞬間、自分の心拍が上がるのが分かった。見てはならないものを見ているという自覚と、目を逸らすべきなのに逸らせない数秒間。あの数秒を、私は今も正確に思い出せる。非常灯の緑に照らされた、うつむいた横顔まで。
推察するに、残業終わりでテナント側のトイレが既に施錠され、共用トイレも閉鎖後、駅まで徒歩8分を計算し、不可能と判断したのであろう。合理的な判断だ。責める気にはならない。
私は即座に後退した。音を立てずに階段を1フロア分戻り、それから、わざと足音を大きく立てて、咳払いをひとつして、ゆっくり降り直した。約30秒後、当該女性は何事もなかったように階段を降りてきて、「お疲れ様です」と会釈して退館した。頬に残っていた赤みと、わずかに乱れた前髪は、見なかったことにした。私も「お疲れ様です」とだけ応じた。声が少し掠れた。
警備員の職務は施設の安全確認であり、人の尊厳の破壊ではない。ただし翌朝、踊り場の水濡れは「雨漏りの疑い」として清掃手配をした。雨など降っていなかったが。あの夜の非常灯の緑色を、私はしばらく忘れられそうにない。
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※ 掲載されている話は、読者投稿・創作をもとにした読み物(フィクション)です。実在の人物・団体・場所とは一切関係ありません。
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