巡回日誌・深夜の研究棟前で限界の女性研究員を発見した件
警備員は構内の全てを見る仕事だが、見なかったことにする判断も仕事のうちである。2月の深夜の記録を、自戒を込めて残す。外気温2度。冷えは腹に来る。腹部への緊張も一層高まる季節です。
23時30分、理系棟裏の順回中、B棟の通用口から女性研究員(30代、ポスドクの方と後に判明。地味なコート姿で、いつも早足で歩く方であった)が出てくるのを発見。当夜、B棟は配管凍結防止工事のため全トイレが使用停止であった。夜間使用可能なトイレは正門脇のみ。彼女の現在地から徒歩8分の距離である。その8分が、彼女にとって永遠に感じられるほどの距離だったのでしょう。
彼女の歩様は明らかに異常であった。約90秒ごとに立ち止まり、街灯の柱に手をついて呼吸を整える。その度に体全体が緊張し、そして次の瞬間に弛緩する。その波が何度も繰り返されていました。歩幅は通常の半分以下。腹部を押さえ、白い息を短く吐く。時折、下腹のあたりに手を当てて数秒静止する姿も見えた。その手の角度、その表情、その呼吸の浅さ。腹の限界であることは、7年の勤務経験から一目で判断できた。
声をかけるべきか迷ったが、あの状態で立ち話をさせるのは酷である。私は距離を保ち、経路上の障害物がないことだけ確認しながら後方を歩いた。彼女の歩みを守ることが、今の私の仕事だと判断しました。すり足のような歩きが、時に立ち止まり、その度に彼女の全身が力を入れ、そして緩みました。その繰り返しが続く。
正門まで残り200mの直線で、彼女は一度完全に静止した。約30秒。あの30秒は見ているこちらの胃が痛んだ。呼吸を合わせるように、こちらも息を詰めていたのを白状する。壁に寄り掛かるその姿は、試験前の学生のそれに見えました。しかし試験では失敗しても落ちるだけです。この瞬間の失敗は、彼女にもっと大きな代償をもたらすだろう。
再び歩き出し、正門脇トイレに到達したのを確認して、私は順回に戻った。彼女がトイレに入った瞬間、私はほっと息をついたことを記しておきます。
翌週、彼女から詰所に缶コーヒーの差し入れがあった。「あの夜、後ろにいてくれた方に」とのことである。見られていたのはこちらであった。差し入れの缶コーヒーを受け取った瞬間、あの夜の200mの直線と、彼女の背中の緊張を思い出し、何とも言えない気持ちになったことを記しておく。それは感謝というより、申し訳なさと尊敬の入り混じった複雑な感情でした。以上、発見の記録。
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※ 掲載されている話は、読者投稿・創作をもとにした読み物(フィクション)です。実在の人物・団体・場所とは一切関係ありません。
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