トイレ故障中の貼り紙を出した2日間の常連たちの攻防
月曜の朝、うちのトイレの水が流れなくなった。築40年の店だから配管も年寄りだ。業者に電話すると水曜まで来ないという。「お手洗い故障中・最寄りは駅かコンビニ(徒歩4分)」の貼り紙を出した2日間、私はカウンターの中から、実に人間的なものを観察することになった。
コーヒーとは利尿の飲み物である。珈琲を出す店からトイレを取り上げるとどうなるか。答え、店内が静かな戦場になる。
常連の年配女性Aは、貼り紙を見た瞬間、注文したばかりの珈琲を半分残して席を立った。「ちょっと駅まで」と言ったその歩幅がいつもの半分で、しかし回転数は倍だった。あの年代特有の、我慢の利かなさと恥じらいの板挟みが、後ろ姿に全部出ていた。20分後に戻ってきて、残り半分を飲み干し、また出ていった。学習しない人だ。いや、うちの珈琲がうますぎるのだと思っておく。
読書が趣味の女性B(40代、いつも文庫本と共に2時間居る)は、文庫本を30ページ読む間に足を組み替えること11回。数えていた私も私だが、後半は組み替えの間隔が明らかに縮んでいた。ページをめくる手が止まり、目が文字の上を滑っているのが分かる。膝が細かく揺れ始めたところで、彼女は静かに本を閉じ、「また明日」と言って駅の方へ、競歩の選手のように去った。
極めつけは営業職風の女性C(20代後半、パンツスーツ)。「故障中」の文字を3度見して、「近くにトイレは」と聞く声がもう震えていた。飛び込む前提で来た顔だった。コンビニまで徒歩4分と伝えると、彼女は一瞬天井を仰ぎ、何かを計算し、コーヒー代を置いて無言で出ていった。窓越しに見えたのは、店の前の横断歩道を信号が変わる前に渡りきる、鞄を抱えた全力疾走だった。あの走りは間に合っていないと思う。いや、間に合っていてほしい。あの日から私は、知らない女性の膀胱の無事を祈る店主になった。
水曜、業者が来てトイレが直った。Cはその日の夕方また来て、席に着く前にまずトイレの動作確認をしてから、ゆっくり珈琲を飲んだ。学習する女だ。彼女には内緒で、豆を少し多めに挽いた。
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※ 掲載されている話は、読者投稿・創作をもとにした読み物(フィクション)です。実在の人物・団体・場所とは一切関係ありません。
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