排泄物語

河川敷の草むらで、犬の散歩の人が来たあの三分間

投稿者: 月夜のジョウロ2分で読めます閲覧 1.6万3.7(144件)

金曜の深夜一時、残業帰り。あの公園の夜から、私は遠回りして帰るようになってしまった。まっすぐ帰る道より、少しだけ遠い道を選ぶこと。それが自分でも気づかないうちに、習慣という名の秘密になっていた。

その日は多摩川の河川敷を選んだ。土手の下の草むらは腰の高さまで茂っていて、川の音が世界の音を全部消してくれる。会社を出た時からもう予感はあった。膀胱の奥に居座る重みを抱えたまま、私はいつものように奥まで分け入って、スカートをたくし上げてしゃがんだ。夜の川面に、対岸のマンションの灯りが揺れている。風が草を撫でる音が、まるで誰かの吐息のように聞こえた。

出はじめた瞬間の、あの体の芯がゆるむ感じ。開放されるのは膀胱じゃなくて、たぶん一週間分の私自身なのだと思う。会議室での愛想笑いも、上司の小言も、満員電車で押し潰された自尊心も、全部いっしょに流れていくような気がする。

――そのとき、土手の上に懐中電灯の光が見えた。犬の散歩の人だった。光がゆっくりこちらの草むらの方へ振られる。心臓が凍った。出しかけを止めようと下腹に渾身の力を込めたけれど、体はもう言うことを聞かない。止めれば止めるほど、逆に奥からせり上がってくるものがあって、私は声にならない声を喉の奥で殺した。

でも、出ているものは止まらない。私は息を殺して、草の中で完全に静止した。じょろじょろという音だけが、自分の耳には花火みたいに大きく響く。太ももの震えが止まらない。光が茂みのすぐ手前で止まった気がして、私は目を閉じ、心の中で数を数えた。十、九、八――終われ、終わって、お願い。犬が一度こっちを向いて、ふん、と鼻を鳴らした。飼い主が「どうした?」と犬に声をかける声が、思いのほか近くに響く。私は完全に息を止めた。

永遠みたいな三分間だった。時間の感覚がおかしくなって、自分がまだ出し続けているのか、もう止まっているのかすら分からなくなる瞬間があった。光は結局、川下の方へ流れていった。犬の足音と飼い主の靴音が遠ざかっていくのを、私は草の匂いの中で確かめた。

全部出し切った瞬間、安堵と快感が同時に背骨を駆け上がって、私はしばらく草の中で動けなかった。膝が笑っていて、立ち上がるのに時間がかかった。手のひらに草の露が冷たく残っていた。

怖かった。怖かったのに、帰り道の足取りが妙に軽かったのはなぜだろう。心臓はまだ早鐘を打っているのに、口元だけが緩んでいる。土手を上りながら振り返ると、犬の散歩の人の姿はもうどこにも見えなかった。何事もなかったかのような静かな河川敷が、月明かりの下に広がっているだけだった。

家に着くまでの道すがら、私は何度も自分に問いかけた。見つかっていたら、どうなっていただろう。想像するだけで背筋が冷たくなるのに、同時にあの三分間の緊張感がやけに鮮明に体に残っていて、離れてくれない。私はたぶん、もう戻れない所まで来ている。次はどこにしようか、なんて考えている時点で、もう手遅れなのだと思う。それでも懲りずに、また同じ河川敷の草むらを探してしまうのだろう。

― この話は、これにて ―

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掲載されている話は、読者投稿・創作をもとにした読み物(フィクション)です。実在の人物・団体・場所とは一切関係ありません。

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