早朝5時40分の河川敷にて。ランニング女性の緊急着地を観察した記録
日曜の早朝5時40分、いつもの河川敷でカワセミの定点観察をしていた時の記録である。気温は12度、川霧が薄く出ていた。双眼鏡は川面の杭に向けていた。
ふと肉眼の視界の端、堤防の上のランニングコースに、女性ランナーが入ってきた。30歳前後。上下そろいのランニングウェアに、後ろで一つに結んだ髪。フォームがきれいで、日頃から走り込んでいる人だと分かった。平日は忙しい会社員が、日曜だけ長い距離を踏む——そんな印象だった。腕振りも無駄がなく、呼吸も整ってた。第一印象は完璧なランナー像だった。
異変に気づいたのは、彼女が二度目に視界を横切った時である。フォームが崩れていた。歩幅が縮み、腰が引け、ときどき立ち止まっては空を仰ぐ。三度目には、もう走っていなかった。内ももを擦り合わせるような小刻みの歩き方で、周囲を見回す回数が明らかに増えていた。この河川敷、最寄りの公衆トイレまで約1.2キロ。彼女の顔にはその計算と、計算が崩れた者の絶望が浮かんでいた。
彼女は堤防の斜面の茂みに、駆け込むというより吸い込まれるように消えた。怪我かと思い腰を浮かせかけたが、様子が違う。茂みの陰で素早くしゃがみ、周囲を二度見回すのが枝越しに分かった。周囲の声。野鳥の声。その中に、かすかに別の音。
ここで私は事態を理解し、双眼鏡を意地でも川面から動かさないことに決めた。決めたのに、心拍だけが観察者らしからぬ速度で打っていたことは、記録の正確を期すため書き残しておく。静かな朝で、川の音に混じって、かすかに水の音が聞こえた気がした。気のせいだと思うことにしている。それが一番だと思った。
約40秒後、彼女は何事もなかったように茂みから出て、入念なストレッチを一つ挟んでから走り去った。ストレッチを挟むあたりに人間の見栄というものを感察……いや観察した。朝日がだんだん川面を照らし始めた。
なお、カワセミはその間ずっと杭の上にいた。鳥は排泄に場所を選ばない。人間だけが選び、そして時々、選べない。あの朝の彼女の乱れたフォームと、茂みの中での決然とした姿勢だけ、私は今も妙に鮮明に覚えている。
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※ 掲載されている話は、読者投稿・創作をもとにした読み物(フィクション)です。実在の人物・団体・場所とは一切関係ありません。
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