夜明けの展望台駐車場、ガードレールの向こうの婦人を見た朝
10月の連休だった。夜明けの峠を攻めるため、4時に家を出た。夜間走行3時間。目的の展望台駐車場に着いたのは5時40分。空気は白く、吐く息が朝もやに溶けていくのが分かるほど冷えていた。エンジンを切ると、山特有の静寂が耳に痛いほど響いた。
先客は観光の年配夫婦らしき車が1台だけだった。その車は駐車場の奥に停まってた。静かなもんだ。バイクを停め、缶コーヒーを開けた時だった。空を見上げながら、朝焼けがもうすぐかなってぼんやり思ってた時。
ガードレールの向こう、朝もやの茂みに白いものが見えた。目を凝らす気はなかったが、距離が近すぎた。5、6メートル先で、60前後と思われる婦人がしゃがんでいた。品のいいベージュのコートに、白髪混じりの髪をきっちりまとめた身なりで、旅行慣れした雰囲気の人だった。連れ合いは車の中で素知らぬ顔だ。
この展望台にトイレはない。最寄りの道の駅までは下りのカーヴを17個ほど戻らねばならん。年齢が膀胱に味方しなかったのだろう、彼女の肩は小刻みに震え、コートの裾を握る指先に力がこもっていた。白いコートの中での、かすかな身体の動き。時折漏れる息遣いが、朝の静けさの中でやけにはっきり聞こえた。その呼吸は浅い。頭は下がり気味。
責める気にはなれなかった。俺はヘルメットを被り直し、わざと大きな音でエンジンをかけて視線の言い訳を作り、駐車場の反対側へ移動した。バイクのミラー越しにも極力見ないよう、視線は稜線の方角へ固定した。その顔に同情を見られるより、無視の方が人間らしいと思った。
それが礼儀というものだと思った。振り返らずに済むよう、缶コーヒーの残りをゆっくり飲み干した。一口、また一口。のど越しを感じながら、絶対に背後を見ない。10分後、夫婦の車は何事もなかったように走り去った。朝日が稜線から顔を出した。
人間、歳をとると景色より先にトイレの場所を確認するようになる。あの婦人の背中は、俺の10年後への警告だった。出張先でも山でも、必ずトイレ位置は調べることにした。今日も缶コーヒーは一本で我慢しておく。ヘルメットを被り直しながら、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。峠を下る道すがら、道の駅の看板が目に入るたびあの婦人の姿を思い出すようになった。
― この話は、これにて ―
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※ 掲載されている話は、読者投稿・創作をもとにした読み物(フィクション)です。実在の人物・団体・場所とは一切関係ありません。
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