閉館10分前、書庫から駆け出した女子院生の結末
図書館という場所は、静けさと引き換えに人の緊急事態がよく響くところでございます。1月の試験期、閉館22時の10分前のことでした。その日は雪も積もり、屋外は特別な静寂に包まれていました。地下の閉架書庫から、修士2年の女性がものすごい勢いで階段を駆け上がってきたのです。
彼女は毎晩、判例集の谷間に籠って論文を書いている常連さんでした。ロングヘアを無造作にまとめ、いつも大判のトートバッグを抱えている姿を、私はよく覚えております。その日も、その格好で白梅女子大の学生証をぶら下げていました。
顔は白く、腰は微妙に引けて、まるで返却期限を三年過ぎた本のような切羽詰まり方でした。額には汗が浮き、手が小刻みに震えているようにも見えました。肩も上下してて、相当に焦ってる様子がありありと伝わってきた。1階のトイレは閉館前の清掃中。彼女は「2階は、2階は開いてますか」と私に聞き、答えを待たずに駆けていきました。その速度、その必死感、全てが時間の切迫を物語ってました。
そして階段の途中で、一瞬、動きが止まったのです。あの静止を私は忘れられません。物語でいえばページをめくる手が止まる瞬間です。息を詰めて、体を強張らせているのが遠目にもわかりました。その一瞬は、永遠のように長く感じられました。
彼女はそのままゆっくりした歩調で2階へ消え、20分後、閉館の放送が終わっても降りてきませんでした。その沈黙が、彼女の状況を雄弁に物語ってました。翌日から一週間、彼女は図書館に来ませんでした。閲欄席の彼女の定位置には、しばらく誰も座りませんでした。その空席は、一つの物語を秘めたままでした。
真相は書庫の暗がりの中です。あの日の静止の一瞬だけが、今も私の記憶の栞のように残っております。時折、彼女の修論の成功を心の中で祈ります。
― この話は、これにて ―
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※ 掲載されている話は、読者投稿・創作をもとにした読み物(フィクション)です。実在の人物・団体・場所とは一切関係ありません。
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