【観測記録・正月】元日未明のゴールデン街、初日の出より早かった女性の限界
1月1日、新宿ゴールデン街界隈。快晴、夜明け前の気温1度。年越しをこの街で迎える成人たちの観測は、私の毎年の初詣代わりである。路地裏のスナックの看板がまだ煌々と灯る中、空だけがわずかに紺から白へ変わり始めていた。
午前5時過ぎ、事例発生。花園神社方面から歩いてきた40代とおぼしき和服姿の女性が、明らかに歩様に異常をきたしていた。両膝を内側に絞り、歩幅は極端に狭い。典型的な限界歩行である。連れの女性が「あと10分で店のトイレ開くから!」と励ますも、当該個体は四季の路の植え込みの前で不意に足を止めた。
彼女は着物の帯の上から下腹を押さえ、顔を歪めて数十秒立ち尽くした。寒さで白い息が乱れ、それが焦りの呼吸なのか寒さのせいなのか、傍目にはもう判別できなくなっていた。年越し蕎麦と熱燗を何杯も重ねた体は、氷点下の空気に触れた途端に急速に限界へ傾いていったのだろう。「あと10分」という連れの言葉に、彼女は首を横に振った。「無理、もう無理」。その声には、笑いと涙が半分ずつ滲んでいた。
この手の忘年会・年越しシーズンの限界事例には共通の型がある。まず下腹の奥に鈍い疼きが生まれ、それを尿意と認めるまでに数分の空白がある。認めた瞬間には既に手遅れに近く、あとは時間との純粋な competition になる。彼女の場合、認識から破局までの猶予は驚くほど短かった。手袋を外した指先が帯の結び目のあたりをさまよい、着崩れを気にする余裕すら失われていく様子が、寒空の下でもはっきりと見て取れた。年越しの熱燗と甘酒を何杯も重ねた腹の奥で、限界という名の波がとうとう堤防を越えようとしていた。
「初日の出より先に出そう」という本人の呟きは、緊急時にしては上出来の自嘲であった。結局、彼女は通行人が普通に行き交う遊歩道の植え込み脇で着物の裾に手をかけ、連れが悲鳴を上げながらコートを広げて遮蔽を試みる中、しゃがみ込んだ。氷点下の空気が素肌に触れた瞬間、彼女の体は一瞬こわばり、それからすべての抵抗を諦めたように緩んでいった。遮蔽は面積的に完全に不足しており、初詣帰りの複数の通行人が目撃する公然の事例となった。正月早々に見せる着物の乱れは、本人にとっても不本意極まりないものであったろう。
限界の一線を越えた瞬間、それまでの強張った表情がふっと緩むのを私は見た。羞恥よりも先に、全身の力が抜けていくような解放の色が顔に浮かぶ。白い息が一段と濃く上がり、凍った地面を叩く音が静まり返った路地に響いた。一年でもっとも寒い夜明け前に、彼女の体からだけ湯気が立ち上る様は、どこか神々しくすらあった。処理を終えた彼女は、震える息をひとつ吐いて「今年はもう何があっても大丈夫」と謎の達成感を口にしていた。
厄は年明け5時間で落としきったということだろう。新年一発目としては上々の感測であった。凍える路地に立ち上る白い息と湯気だけが、彼女の限界の証人であった。本年も記録を続ける。
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