排泄物語

雪の晩、飲み屋街の裏で和服の女将が

投稿者: 小料理屋の常連B1分で読めます閲覧 2,4063.5(19件)

二月の、粉雪の舞う晩のことであった。なじみの店が満席で、仕方なく横丁を二本ほど北へ歩いた。息が白く、靴底に雪の軋む音だけが響く、静かな夜だった。時刻は十一時を回っていたと思う。

裏手の月極駐車場の脇を通りかかったとき、車の陰に人影が見えた。和服姿の五十絡みの女性である。髪をきちんと結い上げ、羽織の肩に粉雪を載せたまま、車の陰にしゃがみ込んでいる。どこぞの店の女将であろう。帯の締め方、しゃがんでいてなお伸びた背筋に、水商売の年季が見えた。

酔客の介抱かと思ったが、そうではない。周囲に人はいない。裾を両手で押さえたその姿勢と、やがて聞こえてきた静かな水音で、こちらが察するには十分であった。雪の白さの中に、湯気がうっすらと立ち上るのが見えた。粉雪の落ちる音すら聞こえそうな静けさの中で、その音だけが、妙にはっきりと耳に届いた。

私は動けなかった。見てはならぬ、立ち去るべきだと頭では分かっている。だが足音を立てれば気付かれる。結局、来た道の途中で立ち止まったまま、息を殺して終わるのを待つ形になった。我ながら言い訳がましいことである。

閉店後、自分の店の便所は掃除を済ませてしまって使いたくないと云う話を、昔べつの女将から聞いたことがある。磨き上げた便所を朝一番の客に使わせるのが商売人の矜持だと。なるほど、そういう事情かと得心した。家までの道すがら、限界が来たのであろう。プロの女の意地が招いた粗相と思えば、なにやら胸に迫るものがある。

女将が立ち上がり、裾を直し、何事もなかったように歩き出す気配がしてから、私は足音を立てぬよう来た道を戻った。心の臓が、齢に似合わず騒いでいた。

雪の晩の粗相は、雪が隠してくれる。ああいう光景は、見て見ぬふりをするのが横丁の作法である。もっとも、齢六十を過ぎた今でも、あの結い上げた髪と、雪明りに浮かんだ白い足袋の色まで覚えているのだから、わしも大概である。

いや、私も、と書き直すべきか。

― この話は、これにて ―

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掲載されている話は、読者投稿・創作をもとにした読み物(フィクション)です。実在の人物・団体・場所とは一切関係ありません。

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