終電間際、隣に立っていたスーツの女性が降りた駅で見たもの
昨年12月の金曜日、23時40分頃の下り電車でした。隣に40代くらいのスーツの女性が立っていました。髪をきっちりまとめた、いかにも仕事帰りという雰囲気の方でした。ブランド物らしき黒いバッグを提げていて、疲れた表情の中にも品の良さが漂っていました。乗った時から様子が変でした。3分に1回、体重を右足と左足に掛け替えます。額に汗。12月なのに、です。お腹を押さえて、時々目を閉じます。まるで瞑想しているかのように。
私にはすぐ分かりました。同じ戦いを何度もしてきたからです。あれは下の、しかも大きい方の戦いです。女性はコートの下で、膝と膝をぴったり合わせていました。電車が揺れるたびに、つり革を握る手の甲に筋が浮きます。その筋肉の張りようが、限界の近さを物語っていた。停車時間が長い駅では、目を閉じて何かを数えているようでした。呼吸だけが浅く速くなっていくのが分かりました。彼女の内部では何度も波が打ち寄せ、その度に顔色が変わる。
女性は2駅先で降りました。私が降りる駅でもありました。女性は階段を2段飛ばしで駆け上がり、トイレの方向へ走って行きました。ここまでなら良い話です。問題は、その駅の女性用トイレが改修工事中だったことです。女性用トイレの利用者数は多く、改修中は混雑が予想されるはず。それなのに誰も対策を立てていない。
女性は張り紙の前で3秒静止して、それから多目的トイレに走りました。使用中の赤ランプ。女性はその場で膝に手をついて、うずくまりました。時刻は23時58分。駅前のコンビニのトイレは23時で貸出終了です。肩が小刻みに震えているのが、少し離れた場所からでも分かりました。そこから先は、公開トイレがありません。彼女の絶望は最高潮に達したはずです。
私はそれ以上見ていられなくて、改札を出ました。あの方がどうなったのかは分かりません。ただ、あのうずくまった背中と、震えていた肩は、今でも時々思い出します。帰り道、自分のことのように動悸が収まりませんでした。同じ立場に何度も置かれたことがある身として、あの3秒間の静止と、赤ランプを見た瞬間の絶望が、痛いほど分かってしまったからです。
あの晩は家に帰ってからも、彼女のことばかり考えていました。無事だったのか、どこかで助けられたのか。そういったことが気になってしまう。トイレの改修工事の告知はは、もっと大きく出すべきだと思います。切実に。都市インフラの不備が、人間の尊厳をどこまで傷つけるか。その現実を目にした夜でした。
― この話は、これにて ―
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※ 掲載されている話は、読者投稿・創作をもとにした読み物(フィクション)です。実在の人物・団体・場所とは一切関係ありません。
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