相手チームの四番が試合中に土手の向こうへ消えた話
うちの草野球チームは河川敷がホームなんだが、あそこの公衆トイレは土日になると散歩客で混む。先月の試合でのこと。相手チームの四番、腹の出た40代の強打者が、3回裏あたりからベンチで様子がおかしかった。攻撃中なのにやたら遠くを見ている。顔色も心なしか悪く、ユニフォームの上から腹をさすっているのが見えた。ベンチに座る姿勢も、心なしか前かがみになっていた。グローブを握る手が震えているようにも見えました。
次の回の守備につく前、彼は審判に何か告げて、代わりの選手がレフトに入った。で、四番はどこへ行ったかというと、トイレとは逆方向の土手の向こうへ早足で消えたわけだ。トイレが2つとも使用中だったらしい。待てない、そういう状態だったんだべ。歩き方が明らかにぎこちなくて、内股気味になっているのが遠目にも分かった。両手を腹に当てて、時々立ち止まっては深呼吸するような仕草も見えた。土手を越える時に、何度も体勢を整え直していました。
うちのベンチからは土手の上を移動する彼の上半身だけが見えていて、それが草むらの陰ですっと沈んだ。全員見てたけど全員見てないふりをした。大人だから。誰かが小声で「大丈夫かな、あの人」とつぶやいたが、誰も答えなかった。試合はその間も進行していて、審判も相手ベンチも妙にそわそわしていたのを覚えている。向こうのベンチからも、折れ線グラフのような心配の視線が土手を追っていました。
10分後、四番は何食わぬ顔で戻ってきて、次の打席で特大のスリーベースを打ちやがった。すっきりした人間は強い。走塁の足取りも心なしか軽やかだった。ベンチに戻ってきた彼の顔つきが、明らかに試合前と違って晴れやかだったのが印象的だった。相手チームのベンチも、拍手で迎えていました。
うちの補欠(俺)はベンチでそれを見ながら、いちよう人として彼を尊敬することにした。あの一打は間違いなく、限界を乗り越えた者だけが打てる一打だったと思う。河川敷のトイレ増設、市にはマジで頼みたい。
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※ 掲載されている話は、読者投稿・創作をもとにした読み物(フィクション)です。実在の人物・団体・場所とは一切関係ありません。
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