深夜二時、住宅街の公園で、私は初めて空の下でしてしまった
最初の夜のことは、たぶんずっと忘れない。
水曜日、終電を逃してタクシー代をけちって歩いた深夜二時。定時を三時間も過ぎてから飲んだ緑茶のペットボトル一本が、こんなにも私を追い詰めるとは思わなかった。家まであと十五分という所で、昼から我慢していたものが急に声を上げはじめた。膀胱の奥で、どぷん、と重いものが揺れる感覚。それは波のように寄せては引き、引くたびに次の波を少しだけ大きくして戻ってくる。コンビニは改装中で灯りが落ちている。周りに開いている店は、もうどこにもなかった。
最初の本格的な波が来たのは横断歩道の途中だった。信号が青に変わる数秒間、私は歩道の縁石で膝を寄せ、下腹に力を込めて耐えた。額に汗が滲む。夜風は涼しいのに、こめかみのあたりだけ熱を持っている。あと何メートル、あと何分、と頭の中で計算しては、その数字が少しも希望にならないことに絶望した。信号が変わっても、しばらく足が動かなかった。動けば揺れる。揺れれば決壊する。そんな気がして、私は爪先立ちのような妙な歩き方で横断歩道を渡った。
住宅街の真ん中に、小さな公園が街灯をひとつだけ点けて静かに待っていた。誰もいない。ブランコも滑り台も、昼間の役目を終えて眠っている。私は吸い込まれるように植え込みの奥へ入った。心臓が耳の裏で鳴っている。ストッキングを膝まで下ろす手が震える。指先がうまく動かなくて、こんな簡単な動作にも十秒近くかかった気がする。
しゃがんだ瞬間、これまで抑えてきた圧が下腹から一気に迫り上がってきて、私は奥歯を噛んで最後の数秒をやり過ごした。もう無理、あと少しだけ、お願い、と胸の中で誰にともなく祈る。膝の内側がぶるぶると細かく震えて、その震えが太もも全体に伝わっていく。冷たい夜気が素肌に触れた瞬間、怖さより先に、変な解放感が全身を駆け抜けた。
堰が切れる感触があって、土に落ちる音が思ったより大きく響いた。心臓が跳ねる。でも止まらない。止められない。三分近く出続けたと思う。体の芯からどんどん軽くなっていくのに、震えは止まらなくて、内ももを伝う生々しい熱さに、頭が真っ白になった。植え込みの葉が夜風にこすれる音と、自分の出す音が重なって、まるで小さな滝の音楽のようだった。
空には欠けた月。白い湯気がゆらゆらと月光の方へ昇っていくのを、私はしゃがんだまま呆けたように見ていた。祭りの後みたいな静けさが体の中に広がって、耳の奥で自分の脈だけが聞こえていた。指先の震えがようやく収まってきて、額の汗が夜風に冷やされていくのが分かる。
終わって立ち上がったとき、自分が少しだけ別の生き物になった気がした。膝に手をついて呼吸を整えながら、私はしばらくその場を動けなかった。植え込みの葉先に残った夜露が、街灯の光を受けてぽつぽつと光っている。それを眺めているうちに、さっきまでの必死さが嘘のように遠のいていった。
ストッキングを直す指先はまだ少し震えていて、爪の先が冷たい。けれど下腹はすっかり軽くなって、体の輪郭がくっきりと戻ってきたような感覚があった。二十九歳、会社では真面目で通っている私の、これが秘密のはじまり。我ながらどうかしていると思う。でも、あの夜の月がきれいすぎたのがいけないのだ。ということにしておく。
帰り道、街灯の下を歩くたびに影が伸び縮みして、それが今夜の自分の心と同じように見えて、少し笑ってしまった。玄関にたどり着いて靴を脱ぐ頃には、あの公園での数分間が、もう遠い夢のことのように思えていた。それでも明日の夜、また同じ道を歩いてしまう気がする。
― この話は、これにて ―
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※ 掲載されている話は、読者投稿・創作をもとにした読み物(フィクション)です。実在の人物・団体・場所とは一切関係ありません。
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