いつもの公園が使えなかった夜、私はマンションの五歩手前で負けた
これは失敗の記録。十一月の木曜、深夜一時。その日はいつもの公園に先客がいた。ベンチで若いカップルが語り合っていて、私の秘密の植え込みは使えない。仕方なく素通りした。次の候補の緑道は、街灯の交換工事で作業員さんが数人。夜の街は、いつも味方をしてくれる訳ではないらしい。
家まであと十分、大丈夫、と思ったのが甘かった。外でする解放感を覚えてから、私の体は「我慢して家まで持ち帰る」やり方を忘れかけていたのだと思う。歩くたびに下腹の奥で波が押し寄せて、私は電柱の陰で一度立ち止まり、太ももを寄せて奥歯を噛んだ。まだいける、まだ大丈夫、そう自分に言い聞かせる声が、だんだん祈りに近くなっていく。十一月の夜気は冷たくて、それが余計に膀胱を刺激してくる気がした。
マンションが見えた辺りで、急に決壊の予感が来た。歩幅が狭くなる。鍵をバッグから出す手が震える。あと三十歩、あと二十歩、と数えるたびに、下腹の圧が限界の目盛りを振り切りそうになる。道の途中、自動販売機の灯りの前で一度立ち止まり、太ももを完全に閉じて数秒だけ息を止めた。通り過ぎる車のライトに照らされるたび、自分の情けない格好が浮き彫りになる気がして、涙目になりながらまた歩き出した。
エントランスの自動ドアが開くのを待つ数秒すら長く感じた。エレベーターの中では壁に手をついて、扉が開くまでの十数秒を歯を食いしばって耐えた。階数表示のランプが一つ一つ点灯していくのを、私は祈るような気持ちで見つめていた。
長い長い廊下の途中で、私は一度完全に立ち止まり、全身の力で堰を押さえ込んだ。冷や汗が背中を伝う。膝の震えが太もも全体に広がって、視界の端がちかちかした。あと五歩。あと三歩。あと一歩。玄関のドアが、こんなにも遠く見えたことはなかった。
玄関の鍵穴に鍵を挿した、その音を聞いた瞬間だった。体が「もう着いた」と勘違いした。張り詰めていた糸がぷつりと切れる感覚があって、温かいものが、ストッキングの中を静かに、しかし止めようもなく伝っていった。ぜんぶではないけれど、下着は手遅れだった。膝から下が力を失って、私はドアノブに掴まったまま数秒動けなかった。
玄関の三和土で立ち尽くして、私は月も星もない廊下の天井を見上げた。濡れたストッキングの重みが、これまでの失敗の中で一番惨めに感じられた。バッグを下ろす手も、まだ細かく震えている。
浴室に駆け込んでシャワーを浴びながら、私は声を出して笑ってしまった。温かいお湯が肌を伝う感触に、ようやく体の緊張がほどけていくのを感じた。鏡に映る自分の顔は、まだ少し青ざめていた。外であんなに上手にできるのに、家の五歩手前で漏らすなんて。夜の女王気取りの正体はこれである。しばらく反省して、また夜道を選んで帰ると思う。教訓は毎回得ているはずなのに、なぜか同じ轍を踏む。それもまた、私という人間の秘密の一部なのだろう。ストッキングを洗い場の隅でそっと手洗いしながら、明日の夜はどの道を選ぼうか、なんてことを考えている自分に、少し呆れた。
― この話は、これにて ―
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※ 掲載されている話は、読者投稿・創作をもとにした読み物(フィクション)です。実在の人物・団体・場所とは一切関係ありません。
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