東名高速バスの逃げ場なき波
凍てつくような冬 of 夜9時過ぎ、静岡から東京へと向かう東名高速の深夜高速バスの車内でのことだ。週末の混雑で座席はほぼ満席で、エンジン音だけが低く響く車内は消灯され、薄暗い青い常夜灯だけが通路を照らしていた。 ……その時、私の二つ前の通路側の席に座っていた女性が目に入った。
彼女は20代半ばほどの、洗練された雰囲気の女性だった。キャメルの上質なウールコートを膝にかけ、首元にはチェック柄のバーバリーの首巻きを巻いていた。髪は綺麗にハーフアップにされ、耳元で小さなパールのピアスが揺れている。足元は細いヒールのショートブーツを履いていたが、そのブーツの先が小刻みに、そして激しく貧乏ゆすりのように上下していた。 車内は非常に静かで、乗客の大半が眠りについている。その中で彼女だけが、明らかに異常な緊張感を発していた。
彼女はコートの上から下腹部を両手で強く押し込み、上体を前かがみに折り曲げていた。 時折、大きく息を吸い込んでは「はぁ……っ」と熱い吐息を漏らし、その度に身を捩っている。 タイトなデニムパンツに包まれた彼女の細い両脚は、限界まで内側に絞り込まれ、膝と膝を押し付け合うようにして激しく震えていた。 メイクは暖房の効いた車内の熱気と、彼女自身が流す冷や汗によってじわじわと崩れ、マスカラが目の下で黒くにじんでいた。
彼女は、サービスエリアを出発した直後から始まった猛烈な尿意と戦っていたのだ。 次の停車駅まであと40分以上。バスにはトイレが設置されていない。運転手に「生理現象なので止めてください」と申告すれば、乗客全員の注目を浴びて運行を遅らせることになる。その過酷な社会的な檻が、彼女の逃げ場を完全に奪っていた。 彼女は何度もスマートフォンで現在地と到着予想時間を確認し、その度に時間の進みの遅さに絶望している様子だった。
見てはいけないと思つつも、暗がりの中で浮き彫りになる彼女の苦悶の表情から目が離せなかった。私の心臓は激しく高鳴り、手のひらにじっとりと汗をかいた。 尿意の波が激しく襲いかかるたび、彼女はシートの上で腰を浮かせ、ブーツの踵を床に激しく叩きつけて震えを逃がそうとしていた。 「お願い、早く着いて……」という彼女の無言の叫びが、衣擦れの音となって静かな車内に響く。
ついにバスが高速のインターを降り、一般道の赤信号で停車した。その瞬間、彼女は「うっ……」と声を漏らし、顔を両手で覆ってうずくまってしまった。 指の隙間から覗く彼女の顔は真っ赤に変色し、涙で濡れていた。 バスがようやく駅前のロータリーに滑り込むと、彼女はドアが開く前に通路へ滑り出したが、その脚は完全に笑っており、手すりにすがりつきながらでなければ立っていられない様子だった。 今でも深夜バスの揺れを感じるたび、あの薄暗い常夜灯の下で震えていた彼女のブーツの足音と、切迫した気配を思い出して私の耳が熱くなる。
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※ 掲載されている話は、読者投稿・創作をもとにした読み物(フィクション)です。実在の人物・団体・場所とは一切関係ありません。
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