成田空港までの長距離で、女性のお客様が限界を迎えられた話
お客様の話をもう一つ。昨年の春、都内から成田空港まで、片道80キロほどの長距離のご依頼をいただきました。お載せしたのは30代半ばと見受けられる女性のお客様で、紺のスーツにキャリーバッグ、髪をきっちりまとめた出張帰りのような雰囲気でございました。名刺入れの角がのぞくバッグの持ち方から、仕事のできる方だろうとお見受けいたしました。出発時は晴れやかなお顔で、旅行の話などしてくださいました。誤算は、京葉道路の事故渋滞11キロでございました。
渋滞に入って20分ほどした頃、ミラーの中のお客様の口数が減りました。窓の外を見るふりをして、膝の上で両手を固く組んでおられます。やがて足を組み、組み替え、またお組みになる。ハイヒールの爪先が小さく上下に揺れているのにも気づきました。職業柄、事情は察しがつきます。ですがお客様の方から仰らない限り、こちらから申し上げるのは失礼にあたります。
お客様は10分ほど、スマホを見るふりと深呼吸を繰り返しておられました。飛行機の時間、渋滞の長さ、そしてご自身の限界。三つの計算をなさっていたのだと思います。額にうっすらと汗が浮かび、時折唇を噛んでは、また窓の外を睨むように見つめておられました。渋滞の車列がぴくりとも動かぬたび、お客様の肩がびくりと強張るのが見えました。何度か「あと少し、あと少し」とご自身に言い聞かせるように小さく口を動かしておられるのにも気づきました。
やがて意を決したように「運転手さん、私トイレに行きたいので、次のパーキングに寄ってもらえますか」と、絞り出すような声で仰いました。声の震えから、限界がすでに相当近いことが伝わってまいりました。
「幕張まであと2キロでございます」と申し上げた時の、お客様の安堵と絶望が半々のお顔は忘れられません。その2キロを15分かけてじりじりと進む間、お客様は太ももを固く閉じ合わせ、時折腰を浮かせるようにして耐えておいでした。パーキングに滑り込むと、お客様は小走りに、いえほとんど駆けるようにして走って行かれました。戻られたお客様は少し赤くなった目元で「飛行機より大事なものがありました」と笑っておられました。フライトには無事間に合ったそうです。プロとして、あの日ほど渋滞情報の確認を怠った自分を悔いた日はございません。あのお客様の必死な後ろ姿は、今も鮮明に覚えております。
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※ 掲載されている話は、読者投稿・創作をもとにした読み物(フィクション)です。実在の人物・団体・場所とは一切関係ありません。
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